コースター | ヘーゼル × 雨粒 と、赤塚不二夫『これでいいのだ』
言葉のおまもり
こどもの頃
テレビも漫画もおやじたちもギャグを炸裂させ
生活の中にはいつも笑いが溢れていた。
時代的には
赤塚不二夫やクレージーキャッツなどから派生した笑いがお茶の間を明るくし
その流行の中にいた親たちの影響が
私たちのこども世代にも浸透していた気がする。
うちには『こまわり君』や『パタリロ』があり
こども部屋のドアに貼ってあるのは誰の趣味だか青田赤道のポスター。
少女漫画に目もくれず
『ドラネコロック』や『マカロニほうれん草』
『すすめパイレーツ』が大好きだった私と姉と従姉妹は
登場人物になりきってセリフを声に出して読むなりきりごっこ遊びをしょっちゅうやっては
ギャハハハと笑い転げて楽しんでいた。
あの高揚感とか背徳感とか不条理とか諸々の衝撃。
それらが自分を構成する細胞の一部に組み込まれていることは疑いようがない。
この時代にもギャグとかコメディとかはいろんなところにあるけれど
そういったものたちに心躍らせることが随分と少なくなってしまったのが
今はちょっぴり寂しい。
それは
こどもの頃に夢中になったテレビや漫画やおやじたちのギャグよりも
直接的に切羽詰まった現実の出来事なんかで心や頭を騒がしくさせてしまったからなのか。
それとも理由は別のところにある何かなのか。
気がつけばバカボンのパパの歳もとっくに超えているけれど
朝日を見ると
西から昇ったおひさまが…だから、あっちが東だ
なんて
いまだに頭の中でバカボンの歌が流れる自分がいる。
色んな日々の出来事の中で悩んで出した判断に
それでも逡巡したりする
そんなときふと「これでいいのだ」という言葉が頭に浮かんで
「そうだな、これでいいのだ」と気持ちが軽くなったことは
一度や二度ではない。
バカボンのパパの口癖が
知らず知らずのうちに私の細胞の中の一部として搭載され
困った時に「今必要な言葉はこれでしょ」と発動される
素晴らしい仕組みが出来上がっていたのだ。
そんなことに気がついて
赤塚不二夫さんの『これでいいのだ』を読んだ。
この本は赤塚不二夫さんの自叙伝なのだけれど
そこで一貫して語られているのは愛だった。
マンガへの愛。
家族への愛。
そこには
ギャグというナンセンスな笑いに裏打ちされた包容力とか許容力とかが満ちていて
不条理なことに嘆いたり悲観するのではなく
「これでいいのだ」と受け入れて
明るく前に進んでいく生命力があった。
生きていく中で
まだまだ色んな出来事を経験していくだろうけれど
心のどこかに「これでいいのだ」を持っていれば
どうにかこうにかやっていけるんじゃないだろうか。
いつからかおまもりのように
そんな思いが私の中では確信へと変わっているのだ。
著 / 赤塚不二夫 『これでいいのだ 赤塚不二夫自叙伝』文藝春秋、2021年
コースター | ヘーゼル × 雨粒
おうち時間が楽しくなるコースター(4枚セット) です。
ヘーゼルナッツのような薄茶色と、雨粒のような淡い水色を掛け合わせました。
縮絨の際にそれぞれの色が混ざり合い、毎回異なる1点ものの風合いに仕上がります。
※縮絨とは、羊毛表皮にある鱗状のスケールといわれる部分が湿度や摩擦などによって絡み合いフェルト化することです。
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コースター |ヘーゼル × 雨粒
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